カサンドラが求めるもの

カサンドラ

カサンドラの皆さんが一番ほしいものはなんですか?

意思疎通できるパートナー?

安心感?

安らぎ?

静寂?

居場所?

普通?

私は、、、、

全部欲しい!です。

特別、リラックスできる環境が欲しいですかね。

ASDの娘&夫と同じ空間にいると心がざわざわするか、

わけのわからない事を言われてイライラしたり

するからです。

あの、無駄感たっぷりの怒り。

独身時代声を張り上げて怒るなんて事のなかった私は、

怒るってこんなに毒なの⁉

怒るってこんなに疲れるの⁉

とビックリしました。

ほんとうに、

どっと疲れるんです。

で、無気力になります。

そして更に、

あれ⁉今なんでこんなに怒っていたの⁉

何に対してこんなに怒っていたの⁉

とブラックアウトする位脳が破壊されるような感覚。

おそらく本能ではこんなくだらない事で、、、、

と思っているので、

記憶から無理矢理排除しようとしているのでは?

とすら思います。

先日娘の面談があったのですが、

その時どんな風にこだわりが強いか聞かれ、

急に言われて咄嗟に出てこなかったのです。

あれだけ、あんなに毎日こだわりエピソードがあった筈なのに。

皆さんもこんな現象、ありませんか?

すぐ出てこないってことはそれほど困っていないんじゃ、、

と思われても困るので、

エピソードがありすぎて、、と濁しました。

勿論その後一例は話しましたが、

終わってから、もっと他に解りやすいエピソードがあったろうに!

と自分で突っ込まずにはいられませんでした。

いつもならノートに書き留めてから挑むのですが、

年々手短にあっさり終わるので、

今回はあえて何も考えずに我が身一つでいきました。

なんていうか、

ASDと接していると、、、

頭に血が昇りすぎて、

怒りすぎて、

こちらも半ばパニック状態?なんだと思います。

ひたすら癇癪を長時間起こされると、

(もう頼むから静かにしてくれ!)

とひたすら祈るしかなく、

頭の中が真っ白になります。

治まってから、あれなんだったんだろう、、、って。

スイッチが入ると大変

体の後ろに癇癪スイッチでもあるんじゃなかろうか?

とふと思います。

パチッと、

音がするかのように一瞬です。

そのスイッチが入ってしまうともう大変、さあ大変。

何をしても気に食わない

何をしても食って掛かってくる

屁理屈パレードの開催です。

そうなると無関心・放置が一番良いです。

追っかけてきて文句言ってきたりしますが(笑)

もうね、あれが本当に嫌なんです、

こたえるんです。

何を言ったところで納得しないのは解っているから、

さっとその場を離れようとしているのに。

ひたすら重箱の隅をつつくかのようにあら捜しをしては暴言。

あの不毛な時間がたまらなく嫌なのです。

よくぞここまで人を不快にできるもんだなあと。

個性?認める?(笑)

うちの娘と夫と一週間暮らしてから言ってみてくださいと言いたい(笑)

一日だけだと化けの皮被ってるかもしれないからリアルに一週間。

いやね、本当に、

こればっかりは一緒に接してみないと絶対にこの苦しみは解らないのよ。

ああ、こういう障害なのねと認める事はできても、

受けいれたり好きになることはまた別です。

また、そうしなくてはならないという決まりもありません。

カサンドラで苦しんでいる優しい皆さん。

家族だからって好きにならなくてはいけないなんて決まり、

そんなものはないから大丈夫ですよ。

嫌ったって仕方ないじゃないですか。

親子であったって所詮は自分とは違った=別のという意味で他人。

そうです。

家族という名の他人なのです。

同居している他人位の認識でOKです。

そんなに自分を責めないで。

○○だから○○でなくてはならないという固定概念

私も長い事、

自分でお腹を痛めて産んだ子供なのに、

なんでこんなに可愛く思えなくなってしまったんだろう、、

と随分悩み苦しみました。

母性が無いんだろうか、、、とか。

でも、産まれた時は確かにあったんです。

それからも必死で育て、違和感に戸惑いながらも育ててきました。

この違和感の正体(尋常じゃない逸脱行動がありましたから。)

は何だろうかから始まり、

自分の中で娘は発達障害で間違いないと確信を持つ程だったのです。

なので診断が下ってホッとしたほどで、

そこに恥ずかしいとか認めたくないとかいう気持ちはありませんでした。

だってどこからどうみても異常に映ってましたから。

これが障害でなかったら、

逆に平常心を保てなかったかもしれません。

原因も解らずあれ以上育てるのは困難でした。

娘はいつも、私の嫌がることばかりをしてきました。

それがたとえ特性に基づいたものであっても。

悪気が無かったとか、そんな事はさておいて、

それでも本当に本当に、

不快な言動が毎日続きました。

これ、親子の立場が逆なら精神的苦痛でDVで訴えられるよ。

です。

それで、診断がついてからは特に、

原因(というか癇癪等の理由)が解ってよかった

というホッとした気持ちと、

この苦しみの根源をたどるにあたり、

苦しみの一つとしてあることが浮かびました。

このブログは時に色々な方の目にとまるという事を承知の上で書きます。

もしかしたら、

同じように苦しんでいる方の心が楽になるかもしれないからです。

簡単な気持ちでは書きません。

私は娘のことが苦手

なんだと思います。

これを中々認められなかった。

母親なんだから

娘なんだから

好きでなくてはならない

嫌ってはならない

くさい物に蓋をしていたのです。

見て見ぬふりをしていたのです。

だからこそ、

本音と建て前との葛藤で、

矛盾に苦しんでいたのです。

でも、よくよく考えてください。

嫌う事は悪なのですか?

対人間ですよ?

親は子供を100%好き

なんて迷信です。

子供だって幼少期は本能的に生き延びるために

親を慕って生きています。

でも反抗期になって自我が芽生えたら

親ウゼー期突入(笑)ですよ?

親子でお互い好き好き見つめ合っている蜜月も、

赤ちゃん期のほんの僅かな時期だけなのかもしれません。

(それでも育てにくい子はその時期も難しいとは思います。)

もう一度言います。

親も人間です。

感情があります。

子もまた人間です。

その子もまた大きく親になる日がくるかもしれません。

所詮は同じ人間なのです。

だったら馬の合う合わないはあって当然でしょう。

私はをそこ認めてから少し楽になりました。

嫌いとまではいかなくとも、

馬が完全に合わないんだと思います。

その気持ちを認めました。

観念しました。

だからと言ってなにが大きく変わるわけでもないのですが、

自分に嘘をついているような、

本当は苦手なんだけどなんとか好きにならなくちゃな~

といった無駄な抵抗は辞めました。

無理してすきになるようなものでもないです。

子供の時大嫌いだった茄子も、

大人になって気づいたら大好きになってた!

みたいに、

自然に任せて気がついたら好きになっているかもしれないのですから。

無理はしない。

無理して好きになろうとすると、返って嫌いになるような気がします。

苦手食材を克服しようとして、

無理矢理食べさせられたらトラウマになってもっと無理になるパターン。

それは避けたいですよね。

だから、今は嫌いでもOK。

苦手でもOK。

嫌いになるのにもそれなりの理由があって然りなのですから。

いつか好きになれたらラッキー位の気持ちでいます。

今は今でしかないのだから。

もし、

『あなたそれでも母親?』

とかいう人がいたら、

『あなたそれでも人間?(笑)』

と返せばOK!!

問題ナッシングです!

(感情ないの?あなたには嫌いな人一人もいないの?

親を嫌ったことないの?って感じじゃないですか?)

言いたい人には言いたい事言わせておけばOK!

だってその人が、あなたの人生を責任もって背負ってくれるわけではないから!

言うだけなんて誰だってタダでできますからね。

こんな無責任で楽な事はないですよ。

私は私

ASDの娘と夫をみていると、

超絶自分本位で、

究極のマイペースです。

真逆すぎて、逆にここまで他人の事おかまいなしに自分自分でいられたら

楽なんじゃないか?と羨ましくなる程です。

いいなあこんなに好き勝手できて。

私だったらこんな風に振る舞ったら嫌われるの確定だから

恐くてできない。

相手にここまで嫌な想いさせてまでしつこく言えない。

師匠?(笑)

あなたもこうやって好き勝手ぎゃあぎゃあやってみなよ!

という挑発?

娘と夫は特性からか馬があうみたいです。

私は全く。

普段このマイペースな方達を見ていてイライラしています。

ある時娘が言いました。

『相手に合わせるのも解ったけれど、

そんなに人の気持ちばっかり気にしてたら、

〇〇(娘の名前)の気持ちは何処にいくの?

自分がなくなっちゃう。』

そんな言葉が飛び出てきた時には衝撃すぎて、

ぐうの音もしばらく出ませんでした。

確かにそうだ、、、、、。

その日は珍しく、大人びた話を真剣に語り合えた希少な時でした。

そしてその日の話の流れから、

『確かに自分の気持ちを押し殺して譲ってばかりも良くないよね。

でも、一旦相手の気持ちを受け止めた上で自分の気持ちも伝えたら、

自分も相手も傷つかずにすむんじゃないかな?

それと相手の受け取り方にもよるしね。』

そんな話をしました。

こんな深い話ができるようになるとは、、、。

娘の話にも一理あるな、随分核心に迫った意見だなと酷く感心したものです。

物凄く深く考えさせられた話でした。

ひょっとしたら娘は、

私自身が本来こう生きていきたいと心の奥底で願ってやまないことを

代りに体現しているのではと思う程。

一体なにが正しくて何が間違っているのか。

それは各々の目線でしかありません。

何を基準に見ているのか。

結局誰もが誰かに認めてもらいたい

結局の所一番欲しい物は承認欲求を満たしてくれる相手だったり、

物だったり形なのかもしれません。

これはカサンドラに限りませんよね。

できることなら誰かに賛同してもらいたい。

自分の意見を否定ばかりされていたら誰だって病みます。

誰だって。

SNSの流行っている現在、

諸刃の剣でエゴサーチなるものに傷つく方が後を絶ちません。

宣伝効果もある為炎上狙いの方はさておいて。

ただでさえ傷つきやすい人間様が、

自らその罠に飛び込むのはみていられません。

カサンドラはまさにそんなSNSで自らが発信したもの全てに理解が得られない、

作り話では?と誰からも信じてもらえず、

追い込まれている状態とななんら変わらないのかもしれません。

100褒められて1けなされる。

それならまだ良い方です。

100あって100信じてもらえない。

そんな感じ。

ただでさえ人間はその数少ない1の否定的意見を

強く鵜呑みにして気にしてしまう傾向にあります。

その1すらも無いなら返って開き直れるのか?

と言われたら、、、。

それはそれで絶望ですよね。

もう完全なる白旗上げます。


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