回復のきっかけになったもの
辛い副作用の出る薬をやめ、
段々体調がよくなってくるとそれだけで嬉しいものです。
そしてついに、気分が比較的安定する、
自分にあった薬に出会うことができました。
その時の心境はと言うと、、、。
辛いのには変わらないのだけれど、体が思うように動く、
ただそれだけで涙が出るほど嬉しかったので、
それだけで充分に感じたのです。
動ける有難さ。
その頃から、多少眠れなくてもいつか眠れるようになるだうと、
腰もすわってきたというか、良い意味での諦めもつきました。
きっと少しずつ前向きな気持ちを取り戻すことができたのだと思います。
普通に夜通し体を横にしながらも眠れなくて、
昼寝もなしにそれが二晩とかありましたから。
そうすると、コクっと意識が落ちる時がくるんですね。
熟睡とは違いますが、たった数時間寝落ちしただけで、
物凄く心身ともにスッキリします。
そんな感じで歯車が一つ噛みあうことで、
少しずつ少しずつ、歯車が前へ回転し始めました。
仕事復帰
そして体調もよくなってきた頃、
運よく仕事のお誘いを頂きました。
始めこそ不安でできるかなという気持ちで、
お断りしようかとも考えました。
然し、短時間であったこと、
元々は仕事が大好きであったことなどから、
させていただくことになりました。
それが完全回復への大きな起爆剤になった事は間違いありません。
みるみる内に自分でもはっきりわかる程元気になっていくのを感じました。
社会へ出ることの有難みと大切さ
こうして無事社会と接点を持てるようになったことで、
人間の持つ帰属欲・承認欲求・自尊心が取り戻せたのだと思います。
出産してからというもの、会って話すのは家族位。
やっと入園してからはママさん方と会話をする機会もできましたが、
元々友達であったわけではありません。
つい最近までのお互いの育ってきた環境も全く違うわけです。
簡単に深い話をできるわけもなく、
最低限の社交辞令の挨拶と、たまに気の合う方にあうと、
ほんの少しの時間極まれに立ち話をする程度でした。
もっとも、子供たちがまだ小さく目が離せなかった為、
他のママさん方が井戸端会議をしている光景を横目に、
半ばその余裕を羨ましく思いながらもそれ所ではありませんでした。
とにかく余裕がなかったのです。
しかし、やっと子供たちと意思疎通できるようになり始めた頃、
仕事を始めたことで、一気に世界が広がりました。
もうまるで別世界(笑)
勿論ブランクがあっての仕事ですから緊張も沢山しました。
それでも、家族以外の誰かとこんなにもコミュニケーションをとれるという有難さ。
大人だけでのサクサク意思の通じる快適さ。
誰かに『頑張っているね。』と喜ばれて認めてもらえる嬉しさ。
自分でも生き生きしていることが手に取るようにわかりました。
帰宅後はぐったりしますが、
それでも心地よい疲れが襲い、夜は自然にぐっすり眠れるようになりました。
そうなると、
朝の目覚めがとてもスッキリしたものになり、体も軽い。
嫌な倦怠感はなくなり、良い意味での肉体的疲労感がありました。
それと反比例するように、心はどんどん元気になっていくのでした。
子育てが辛くなる大きな要因として、
・社会から取り残されたような疎外感
・誰からも褒めてもらえない孤独感による自己肯定感の著しい低下
があるように思います。
これらをあっという間に取り除いてくれたのが仕事復帰でした。
メリットがいっぱい
そしてタイミング良く、
頻度こそ少ないですが旦那の休日に仕事のお誘いがあり。
思い切ってお願いをして、夜の比較的早めにあがれる仕事もしました。
我が家は寝かしつけを早く習慣付けていたので、
帰宅後に子供達の寝顔を見た時は、なんて可愛らしいのだろうと、
とても新鮮な気持ちでそう思うことができるようになりました。
その時、気づいたのです。
どんなに好きで大切な存在でも、
きっと四六時中ずっと一緒にい過ぎたせいで、
その気持ちが無くなったわけではなく、鈍ってしまったのだと。
ちゃんと短時間でも離れてお互いの時間をとれば、
こんなにも安定した気持ちになれるのだと。
そして、面倒を見てくれていた旦那にも
自然とありがとうという想いがこみあげてきました。
夫婦なんだから当たり前じゃないと言われたらそれまでですが、
それでも、様々な気づきや喜びに触れることで、
自然と感謝の気持ちがこみあげてきたのです。
感謝というものは本来、
無理矢理しようと思ってするものではなくて、
心の奥から自然と湧いてくるものなのだと痛感した出来事でした。
ありがとうの連鎖というやつですね。
こうなってくると、どんどん前向きに明るい気持ちになっていくのでした。
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