カサンドラの皆さんへ

カサンドラ

孤独な毎日を送られているカサンドラの皆さん。

毎日心をすり減らし、

それでも何か自分にできることがあるんじゃないかと日々模索し、

頑張っていらっしゃいますよね。

本当に頑張っていると思います。

毎日お疲れ様です。

今日は、私も含め日々傷ついておられる皆さんのほんの癒しになればと思います。

何か突出した事を書くわけではないですが、

ああわかるわかる、私もそう、、、、、。

という想いを皆でわかちあえたら幸いです。

お花と雑草

人は誰だって、しんどい時、声をかけてもらいたいですよね。
大丈夫?何かあったの?と。
もしその先はそっとしておいてほしい時でも、
気にかけてくれる人がいるということは、生きる上で必要不可欠です。

今の私はお水も栄養も与えられない、枯れそうな雑草です。

でも、雑草は強いのです。

引っこ抜かれても、太陽がある限りなにくそ根性でまた生えようとします。
どんなに強力な除草剤を撒かれたって、負けません。
いえ、負けたくないのです。

どんなに雑草だからと馬鹿にされたって、
興味を持たれなくたって、、、、。
意味あって頑張って生えているのです。

とはいえ、
枯れる時は枯れます。

そしてすぐまた生えることができなくても、
土という土台と、太陽という光があれば、
雨という恵があれば、時間がかかったとしても再び日の光を見ることができます。

例えていうのならば、
一般的な理想のお花は、養分たっぷりの土と毎日の愛情という名のお水。
元気がない時は栄養剤を与えてもらうことで、絶えず綺麗な花を咲かすことができます。
その時その時にあわせて、育てる主が愛情をかけて見てくれて育ててくれるからこそです。

ついでに温度管理までしてもらえるものなら、長く生き生きと咲き誇ることができます。

そして、雑草はお水を与えてもらわなければ、
自然と雨が降ることを待ちます。
待っても待っても降らなければやがて枯れてしまうのです。
運がよければ、たまたま水やりの恩恵にあやかり、
ああ助かったということもあるでしょう。

雑草は、時に卑屈になります。
なぜ私は綺麗なお花のように、大切に見守って育ててもらえることができないのだろう。
花を咲かすことができないから?
私が雑草だから?
いいなあお花は、人に見てもらえて。
時に花瓶に飾ってもらうこともできる。
綺麗だねって言ってもらえる。

それに比べて私は、、、、、、、、、。

卑屈になって枯れてしまいます。

でも、
その生命力は人工的に育てられたお花にとって敵わない程、強くたくましいものです。

ある時雑草は、
土があり太陽がありお水があることに気が付きます。

自発的に人から与えられることは悲しいかなないけれども、
でもこうして何度もめげずにたくましく生きている。
むしろお花よりもたくましく。

お花は道行く人々の目を和ませることができるかもしれない。
でも、アスファルトからの日照りから、
人間を守ることはできないかもしれない。


雑草はたくましく生えて、その暑さを軽減することができる。
人々が気づかない所で、恩恵を与えている。
やがて大きく育ち、木となり酸素を吐き出して、
綺麗な空気を生み出しているかもしれない。

木となり伐採されたとしても、
形を変えてお箸に生まれ変わったり、
人々の役に立っている。

なんだ、
雑草は無い無い尽くしかと思っていたけれども、
気が付かない所で与えてもらっているし、
与えているんだ。

お花と形こそ違えど。

気が付いたら大きな森林となって、
お花が見えなくなる位大きくなって、
同じように成長した木々達が傍にいる、、、、。

どんなに風にさらされたって、
例え枝が折れてしまったって、、、。

自然界という大きな母が存在する限り。

信念という根っこがある限り。
雑草は今日もたくましく生きています。


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