皆様こんにちは。
ご無沙汰しております。
Senです。
最近またプライベートで心労が祟り、鬱状態でした。
また不安感や憂鬱感・先の見えない絶望感。
まるで味方が誰一人いないような孤独感。
このまま生きていて何か意味があうのだろうか。
ストレスにまみれて、心は土砂降りの雨模様。
そして、雨降って地固まる、、、。
の繰り返しなのでしょう。
落ちるところまである程度落ちたので、
後は這い上がるのみのようです。
不思議とこんな時にも関わらず、いつも明るくていいよねなんて声を掛けられることも。
心模様は誰にも解りません。
でも、
心が土砂降りでも、
それを隠して笑う事で、
誰かに温かさを届けられたのなら、
まだまだ生きている意味はありそうです。
一歩進んで二歩下がる 二歩下がって三歩進む
一進一退。
止まっているようで、確実に前は進んでいます。
少なくとも時間は確実に。
今起きている現象は、私と言う人間が主観的に捉えた世界。
あと十年経ってみたら、あの時は良かったとすら思っているのかもしれません。
もがいてももがいてもどうしようもない時は、
あえて何ももがかない。
時の流れに身を任せる。
それが案外一番近道のような気がします。
なんとかせねばとあがくからうまくいかない。
観念して、
今はこういう時期なのだと腹をくくって受け入れたら、
意外にサラサラ流れていくのかもしれません。
考えても考えても答えが出ない時。
それは答えがでないというのが答えなのでしょう。
ならば、答えのでない中で進むしかない。
いつかふっと思いつくのかもしれない。
人間の思考ではどうにもならない事ばかりなのでしょう。

もし今辛いのなら
誰かに話を聞いてもらうのも、独りで深く考えるのもよし。
人に聞いてもらうと楽になる事もあるでしょう。
一人ではない事を実感すると、
生きる活力が出てきますよね。
ただ、最終的な解決にはならない事もあるでしょう。
それはきっと自分の中で応えを持っているから。
どうしたら、、という中でも、
深層心理は実は悟っているのかもしれません。
私も思いの丈を一旦吐き出しましたが、
後で虚しくなりました。
こんなに不満ばかり抱いていた事に愕然としたからです。
あ、これじゃ上手くいくわけないな、
と気が付きました。
でもそれも、
吐き出すという行為をやってみたからこそ気づけた事でした。
そして弱いので、
また潰れそうになったら同じ事をしてしまうでしょう。
それもまた自分であったのだと、
そんな自分も受け入れてみると案外他人も受け入れられるようになるかもしれません。
皆同じ弱さを抱えた人間ではないんだな、
完璧な人間なんていないんだな、
幸せそうなあの人だって、実は誰にも見せない辛い思いを抱えているのかもしれません。
人の本当の所なんて誰にもわかりません。
どんなに仲睦まじく見えるあの夫婦も、
家に入ったら喧嘩をしているかもしれません。
そんなもの。
そんなものなのです。
比較しても始まらない。
観念してしまう。
それができたら最強だと思います。
だって今ここは何も変わらないのだから。
でも、これからは変えられる。
一旦思いきって受け入れられるように、
いいも悪いもなしに味わえたら、心が軽くなるかもしれません。

人生は九割九分九厘辛いものなのかも
そう考えたら、毎日普通に病気や怪我なくただ生きているだけで儲けものです。
いや、辛いですよ。
できたらもう生まれ変わりたくもないですもん。
でも今世はもう生まれてきてしまったからどうしようもありません。
それこそ観念して残りの人生を淡々と歩むしかありません。
今、普通に雨風凌げる環境で眠る事ができる。
戦国時代みたいに敵に乗り込まれるかもしれない恐怖もない。
温かいお風呂に入る事ができる。
温かいご飯を食べる事ができる。
(時に冷めるけど笑)
着るものにも困らない。
それだけで実は相当恵まれているのかもしれません。
子供がちょっと体調を崩しただけでも親は心配だし辛いですよね。
だから健康が一番です。
あのお釈迦様だって、
何百年と修行を積んでこられて、
中々答えは出なかったんですもん。
凡人の私に解るわけありません。
所詮 皆人間
人間以上でもなければ、人間以下でもありません。
どんなに会社で地位のある人だって、
赤ちゃん時代があって、大人の力が無ければ生きてこれなかったのです。
どれだけ稼いで偉くなっても、
死ぬときは何も持ってはいけません。
眠ってしまえば、皆同じ。
着ているものも住まいも何にも関係ありません。
タイムラグ
すみません。
ここで実は一ヵ月程のタイムラグがあります。
もう完全に、
現実逃避というか、
解離というか。
がっちがちに不安で神経質になっていましたが、
それも馬鹿馬鹿しく?なって、
急にストン肩の力が抜けました。
なんだったのでしょう、、、。
何かに憑依でもされていたかのよう。
自分でも、あの時(つい最近)はおかしかったなと思う程です。
何故抜け出せたかというと、
①現実的に完全にINに入った事。
②無理をやめた(頼まれ事や率先してやっていた事を、今は不調だからと断った。)
↑これ結構重要でした。
普段は頼まれごとは基本断らないですし、
無理してでも頑張ってしまっていたので。
③落ちるところまで落ちた。
↑中途半端な低空飛行は返ってカラ元気に振る舞ってしまったり長引くので辛い。
弱っている自分も仕方がないと受け入れた。
④少し気力が戻ったところで本を読んだ。
以前別記事にもおすすめとして紹介しましたが、
ポジティブな内容の本は場合によっては余計に気が重くなってしまうので、
読んでいて何か違和感があったら中断してよいです。
無理して読んでストレス溜めたら本末転倒ですからね。
私はそんな感じで、
久々に読んだ本はばっちりあって、そこから一気に前向きになることができました。

弱っている時にかけられる言葉
なんだかこの人に言われても、
しっくりこないんだよなあ、、、、、。
響かないんだよなあ、、、、。
そんな事ありませんか?
確かに言っている事はもっともだし正論なんだろうけれど、、、。
それ、多分言った張本人ができてないからです(笑)
机上の空論てやつです。
もし同じ内容の事を全く違う人に言われて、
すんなり受け入れることができたとしたら、
その可能性はより大きくなりますね。
綺麗ごとってやつです。
実際に経験をして克服した人からの言葉は、やはり説得力があります。
なんたって言葉の重みが違いますからね。
だから、
経験してもいないのにあたかも
『自分だったらできちゃうぜ!』
みたいに上から目線でお説教じみた事を言われ始めたら、
全力でスルーした方が賢明です。
ストレスが溜まるだけなので。
じゃあ、まずはあなたが実際に同じ環境で上手くやってるとこ、
お手本とやらを見せて?
それから今と全く同じ言葉を言ってみて?
と言いたくなりますよね。
そこでまた揉めるエネルギーも勿体無いので、
気力温存の為に、
まだ一人でゆっくり過ごす方が精神にとっても健康的です。
おそらくそういった方は、
そんな綺麗事をさらりと言ってのけちゃう大人な自分
に酔いしれているだけです。
自分が気持ちよくなってるだけです。
目の前の相手が傷ついて弱っていても、
そんな相手の気持ちなんか無視で、
自己満足に自分に酔いしれるというなんとも迷惑な話。
そんな事に弱ってる人間を利用しないでよという話です。
なので、
とにかくそんな不調続きの時は、
本能が大活躍です。
死ぬか生きるかに必死な時は、
はっきり言って危険察知能力がいつも以上に研ぎ澄まされているようなのです。
だって、これ以上危害を加えられたら死んでしまうかもしれないのだもの。
生死に関わる問題です。
だから、
この人の言葉、
あの人の違和感、、、。
危険を察知したらすぐ逃げて自分を守ってあげてください。
本当に貴方の事を大切にしてくれる人なら、
黙って傾聴してくれると思います。
対して聞きもしないで、
アドバイスじみた事をべらべらまくしたてるようなら、
お引き取り頂きましょう。
それ以上無駄に傷つかない為に。
土砂降りの
雨の後には
七色よ



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