考えない日はないですね。
という位、とにかくストレスフルで虚しい毎日。
この心のブラックホールは深刻です。
今朝も、
自分の身支度、容姿にしか興味のない夫は、
こちらがバタバタと世話しなく朝の用意をしている中、
ひたすら鏡の前でポーズを決め、
一ミリ僅差で気に入らない毛先をカットする事に全集中。
洗面台には流し損ねた髪の毛を残して、
仕事へと旅立ちました。
また嘘
またすぐばれるような嘘をつきました、ASD夫。
本当に、、、、、、、。
ここまでくると病気だと思います。
病的です。
なにしろ本当の事実をそのまま伝えると言う事ができないのですから。
それを言った所で、
自分はあくまでも被害者だそうです。
彼の頭の中では、
お前のせいで俺は真実を語れない
そうです。
遠まわしに、
『全部俺のせいなの?(おまえのせいでしょ。)』
と宣う夫。
あの、、、、、。
今に始まった事じゃないんです。
結婚当初や数年は、それこそ阿保みたいに信じ切っていました。
逆に、
よくここまで純粋に疑う事もなく信じ切っていた嫁を、
ここまで裏切れたな!
良心は痛まなかったのか??
と思う程です。
後から後から嘘のオンパレードを知ったからこそ、
計り知れないダメージを食らいました。
そして以前のように何もかも信じる事など到底できず。
それなのに、
『おまえはいつも俺を疑って!!』
と逆ギレです。
どの口が言ってらっしゃるのでしょうか?( ゚д゚)ポカーン
こっちだっていちいち、
これは本当か?嘘か?
なんてしんどい事やってられません。
ただ、子供達の健康に関する事だったり、
大事な所で嘘をつかれるともう、
怒りの矛先を何処に向けて良いやらわからなくなるのです。
(言ったって響かない、暖簾に腕押しのASDなので。)
ああいえばこういうで、
なんだかんだ屁理屈で返されて、
怒りが百億倍位に膨らんで健康を害すのがオチです。
これは前世からの試練なのか?
よくヒプノセラピーとかありますよね。
退行療法だったり、
前世からの因縁などを睡眠療法で知ることで、
今世での問題の解決へと導くそうですね。
昔から物凄く興味があるのですが、
何しろ料金がお高いのと、
それだけに、どの方にみてもらったら良いのか、
中々踏み込めないでいます。
ただ、体験談などお話を読んでいる中で、
もし前世からの引き続きの課題を今、
こなしている最中なのであれば、
ここで逃げて一時的に楽になったとしても、
また来世で、、、、と考えただけでもぞっとします。
もう二度と、
こんな体験したくないですし、
正直二度と関わりたくないです。
そこまで嫌いなら何故別れない?
という声が聞こえてきそうですが、
そもそもこのブログを読んでくださっている方は
おそらくカサンドラの方が大半かと思うので、
解ってくださる方だけ解ってくださればそれでよいのです。
理解できない方は、
ASDと関わった事のないor所詮他人事なので、
それはそれで仕方のない事なのです。
一人一人考え方、感じ方も違いますしね。
なので、
このなんとも説明しがたい、
言葉にしてしまうと何か違ってしまう、
ASDの微妙な違和感をこのブログで一人でもわかちあえる事ができたら、
こんなに嬉しい事はありません。
カサンドラの皆さん、
毎日毎日、
なんでここまで同じ人間なのに通じないの?
心がないの??
なんで?なんで?私が何かした?
と苦しんでらっしゃいますよね。
納得いかない事ばかりだと思います。
だって毎日が理不尽な事ばかりだから。
泣きっ面に蜂どころかアブまできちゃう(笑)んだから。
そこに追い打ちをかけるように塩まで刷り込まれるんだから。
痛い痛い、心が痛い。
悲鳴物ですよね。
例えば、前世は逆の立場で、
こちらがASDで夫を苦しめていた、、、。
とかだったら少しは(一μ位)できるのかな、、
なんて思います。
不公平感や憎しみが少しでも和らぐのかな。
ASDの娘との関係もそうですね。
前世は私が娘の立場で散々親を困らせたのかもしれません。
その償いをしているのかな、、、、。
とでも思わないと気が狂いそうです、ハイ。
一緒にいるからこそ独り
一人でいる時の孤独は辛くありません。
物理的に一人だと案外心地よいものです。
人混みの喧騒とか大嫌いなので、
むしろすっきり。
でも、夫といると、
頭を掻きむしりたくなるような混乱と、寒々とした孤独を感じます。
実家帰れ。
もうたまりません。
この二人でいる時の孤独感は。
不全感は。
出社してくれると途端に空気が軽くなるのです。
嘘や屁理屈や、
一日中スマホやゲームに勤しむ姿をみなくて良いのですから。
これから結婚をお考えのご息女。
安易な結婚は身も心も滅ぼします。
むしろ独身の方がよっぽど幸せだと思いますよ。
相手が見つからない、、、と嘆いていらっしゃるかもしれませんが、
相手がいない幸せもありますよ。
切実に感じます。
本当に、下手に苦労する相手と一緒にいる位なら、
一人の方が断然幸せです。
人生やり直せるとしたら、
間違いなく一生独身でいますね。
籍を入れない期間限定のパートナー位で充分です。
その方がどんなに良かったか。
私の人生はASD夫によって、またASD娘によってモノクロに色褪せました。
真逆の世界ですよ、こんなの。
普通ってなあに?
当たり前ってなあに?
人を信じるってなあに?
な世界です。
ストレスにまみれて、寝る時間だけが幸せ・安寧。
意識を失って夢の中にいる時だけがリラックスできる時。
目が覚めれば地獄がまっている。
時折、そんな夢の中にまででてきて私を唸すASDですが。
どこまで執念深いんだ、、、。
今まで縁あった人
不思議と思い出します。
もしあの時あの人と結婚していたら、、、。
こんなに苦しむ事もなかったのかな、、、。
仮に苦しんだとしても、
このジャンル(笑)の苦しみでないだけマシなのかもしれません。
過去、こんな私を好きでいてくれ、
結婚してほしい!と熱烈にアピールしてくれた稀有な男性が何人かいました。
とにかく至れり尽くせりな感じで尽くしてもらって、
好き好きと大事にしてくれたのですが。
当時の家族の問題もあり、次第にうまくいかなくなっていきました。
その相手の気持ちに応える事ができるだけのものがなかったのか、
重く感じてしまった事も確かですし、
家族の介護や付き添いだけでなく、仕事など多忙で余裕がなくなってしまった事も一因です。
当時もふと、
この若さで家族の介護をしなくて良い環境だったら、
複雑な家庭でなかったら、普通の同世代のような恋愛ができたのかな、、、。
なんて思ってしまった事もあります。
ただ、当時から責任感は人一倍強く、
私がやらねばという気迫で必死でした。
今思えば、あの時はあの選択をするしかなかったのかもしれないけれど、
お相手には悪い事をしてしまったな、、、という気持ちがあります。
付き合う時点で相当悩みましたが、
結局辛い思いをさせてしまったな、、、。
余り綺麗な別れ方ではなかったので、
そんな罰もあるのかなぁ、、なんて。
勿論、今はその人達が幸せでいてくれる事を願っています。
大切に想ってくれた人程遠ざけてしまう、、、。
私には幸せになる資格はない
と無意識的に思ってしまっているのかもしれません。
幸せになってはいけないという呪いのようなものを感じます。
自分でかけてしまっているのかも。
苦労は買ってでもしろという勝手
よく昔から母親に言われた言葉でもあります。
『若い内の苦労は買ってでもしろっていうからね。』
何かにつけて、
しんどい話を打ち明けると
『やっぱりあんたは苦労したから違うんだ!』
『いいじゃない、いいじゃない。沢山苦労して。』
『人間結婚して苦労しないと、人間としていつまでも未熟。』
『苦労しないと成長できない。』
苦労こそ美学
のように刷り込まれてきましたし、
疑いもしませんでした。
だからこそ、苦労した暁にはきっと幸せに、、、、
なってません(笑)
もう一度言います。
散々苦労しましたが、
今も幸せなんて感じません。
はっきり言って、苦労は幸せには比例しません。
苦労したからこその、達成感や充実感はあるでしょう。
でもそれが=幸せなのか?
と言ったらそれはまた違うと思います。
苦労しようがしまいが、
本人の心の持ちようだと思うので。
だからこそ
苦労しろしろというのは
しろしろ詐欺(笑)
だと思います。
苦労したら100%報われますよ!成長しますよ!幸せになりますよ!
といった言葉に安易に騙されてはいけません。
実際に、
そのやたら苦労しろしろと言う人は幸せですか?
もしその方が苦労した結果幸せならたまたまでしょう。
苦労し過ぎて卑屈になって荒くれて、
人生に絶望して自ら命を絶つ程までに追い詰められるケースだって
あるのですから、
他人の人生にああしろこうしろ
は何か違うような気がしてなりません。
今では
しなくてよい苦労ならしない方がいい。
と思っています。
苦労して苦痛で顔が歪むより、
のほほーんとにこにこ暮らしていた方が心も平穏じゃないですか?
人生の楽しみ方
そんなものは忘れました(笑)
というか小さい頃から人生は辛い物だと思って過ごしてきたので、
未だにわかりません。
子供みたいに無邪気に笑う事も滅多になくなりましたし、
何か楽しんではいけない
の呪縛みたいなものがあるのです。
最近気づいたのですが、
実は毒親育ちでACなのかなと。
カサンドラの関連記事や本を読むうちに、
どうやらカサンドラにはその傾向が多いようで、
だからと言って絶対にそうだというわけでもありません。
ただ、どうも言われてみれば私にもその気があるぞ、、、と。
小さい頃からの刷り込みって強力です。
私もつい最近まで思っていた価値観がひっくり返った出来事があって、
それを皮切りに、
あれ?今までの価値観って、、、。
と疑問に思う事が増えました。
こうしなきゃああしなきゃ。
鬱になって、
完全、あ、まずい。
な状態の時。
一度荷物を手放してみたんですね。
自分の命を最優先にしました。
正直死にたかったし、
でもそれを避ける事だけに全集中しました。
そうしたら、意外と大丈夫だったんです色んな事が。
過剰に心配していたに過ぎなかった事の方が多くて、
実は心配しなくても、
自分がなんとかしなきゃと肩肘張らなくても、
なんとでもなったのです。
ビックリしました。
その時思ったんですね。
自分で自分の首を絞めていたなと。
こうでなきゃああでなきゃこうしなきゃこうであれ。
そんなもんくそったれですよ。
でも、
それって、
母親の口癖でもあったんです。
恐ろしいですね~。
幸せになってほしいと言いながら、
幸せになったらただじゃおかないよ位のダブルバインドです。
だってこの通りの方にはまらないと✖なのですから。
自分の幸せやら価値基準なんて見失ってしまいます。
なので、
元々低かった自己肯定感ですが、
ASDの家族との生活でより低くなってしまった事をきっかけに、
今までの自分の染みついてきた価値観を覆していきたいと思います。
まずは自分探し。
難しいけど始めます。
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