育児日記⑨ 長女の発達障害診断がつくまで

発達障害

実際にASD(自閉スペクトラム症)の診断がついたのは、7歳になった時のこと。
とにかく長すぎる7年間でした。

というのも、未就園時代から、
これは何か尋常じゃないぞ?という出来事が多々あった為です。
そして自分で死ぬほど勉強し、
ASDであることに確信を持っていました。

ですから、
周囲の相談しても、
『子供なんてそんなもん。』
相談機関では、
『様子を見ましょう。』

様子見って、、、、、。
見たところでそうするの?
何も変わらないじゃないか、、。
早く診断してくれ、
でないと周囲の理解が得られない、、、、。
絶望の日々でした。

運良く入学後、
とても理解のある心理カウンセラーに出逢い、
診断が下りるまでの経過をここでは紹介します。

今現在、
『あれ?うちの子なんかとっても育てにくいんだけど、、。』
『これって発達障害なのかしら?』
『何処に相談したらいいの?』
『家族にはなんて言ったらいいの?』

と悩んでいる方の参考になる事があればと思います。

当時を振り返りながら、
今思えば娘は当時こういうふうに感じていたのかもしれない、、
と言う事をPOINT解説しながら進めたいと思います。

生後一年〜言葉の少なさ〜

生後半年までは、長女になんの疑問も持ちませんでした。
初めての育児ということ、
夜泣きもあって当然という意識だったので、
特別に辛くなかったという記憶がありました。

(睡眠不足よりも社会からの孤立の方が辛かった。)

喃語から二語文を少し話すようになり、
その頃下の子が誕生しました。

その頃は正直二人の世話でいっぱいいっぱいで、
発達云々を考える余裕がなかったように思います。
初めて言葉の少なさを指摘されたのは、
一歳半検診だったでしょうか。

保健師さんを中心に、
問診やブロック遊びで簡単な発育検査をしたり。
その時娘は保健師の
『〇色のブロックはどれかな?』
という質問をスルーし、
テーブルの下の何かが気になったようで潜り込みました。

普段私が育児と旦那に悩んでいたので、
相談にのってくれていた保健師Aさんが傍についていてくれました。

その時、
別の近くにいた保健師が、
『娘ちゃん、、、発達検査は、、、。』

と言った時の、
Aさんの表情が忘れられません。

『あっ!バカ!それ言っちゃまずいって!』
とでも言いたそうなばつの悪そうな顔でした。
それを見て、
あ、きっと何かあるんだろうなと思ったのが最初です。

内心、
そのブロックの検査を少し見ただけで、
軽い感じで言われたことが当時心外でした。
その時のやりとりが何故か物凄く脳裏に焼き付いていて、
本当の事はわかりません。
ひょっとしたらあの時、もし発達障害の可能性を伝えたら、
私が潰れてしまうかもとAさんが気遣ってくれたのではとすら思います。

そのあたりから、
長女は車内で同じ言葉を
何度も何度も繰り返し発するようになりました。

『ママ、○○ק○○△?¶〜』
時に何を言っているのかわからない呪文のような言葉を、
念仏のようにひたすら繰り返す長女。

寝不足とストレスで注意力が散漫になっていた時は特に、
それが応えました。
『お願いだからもうやめて!』
と懇願した事もありました。

後は、
『何色の防止を被っていたの?』
と聞くと、
『何色の防止を被ってた。』

などのオウム返しが徐々に見られるようになりました。

癇癪とこだわりの強さ

癇癪を時折起こすようになり、
それは下の子が産まれてから頻発する様子でした。
ですので、赤ちゃん返りだと思っていたのです。
勿論それも一因でしょう。
然し、今思えばそれはこだわり故の癇癪であったと言えます。

なにをそんなにいつまでも泣くのかと、
子供と言えど、
あまりにも尾を引く癇癪に
疲弊感を感じる事が多くなりました。

まだ言葉をうまく発することができなかった時、
それはそれは壮絶な泣き声でした。
耳をつんざくような激しい泣き声が何時間も。

抱っこしたり話しかけたり、
落ち着かせようとお茶を飲ませて背中を撫でても
何をしても駄目。
むしろ下手に話しかけると逆効果で、
泣きに火をつけてしまい、、、、。

何故泣いているのかわからずほとほと疲れてしまいました。

車の乗り降り

まず、
玄関を出て車に乗るまでがスムーズにいかない。
興味が虫や石コロに向き、
『車に乗るよ。』
と言っても無視。

やっと車にたどり着いたと思ったら、
今度はチャイルドシート(途中からベビーシート)
に座らせてもすぐ降りてしまう。

どうもあのシートベルトが嫌なようで、
座らせてからベルトをカチャンとするまで暴れる暴れる。
じっとしないのですぐにはベルトがハマらず、
声かけしながらもう少しで、、、、
というところでハマらず、、、、、、、。

何十分も汗だくになりながらシートベルトをし、
発車できるまでがいつも死闘。
やっと買い物先についたら、
また乗せる時一苦労、、、、、。

そんな事が毎回続き、
気分転換すらストレスになる為、
段々引きこもっていきました。

シートベルトの締め付けが心地悪かったのかもしれない。

言葉で不快感を伝えられないもどかしさが、
癇癪をより強くさせたのかもしれない。

おむつ替え


そして、おむつが取れたのが3歳すぎてからでしたが、
おむつ替えの位置まで指定されました。

赤ちゃんの頃はと当然寝ながらに体勢で、
身を任せてもらえるので楽だったのですが、
もう一人で歩けるようになってからは、
立ったまま替えるように。
(トイトレが中々うまくいかず、、、。)

そんな時、
驚愕しました。
新しいおむつを差し出したその瞬間。
突然パニックを起こしたかのように泣き喚いたのです。

こちらはわけがわからず、、、。
『え?どうしたの?おむつ履こうね?』
と言うと、、、、、。

『違うでしょ!ここじゃないでしょ!ここで替えるんでしょ!』
と泣き喚きながら、数㎝差の立ち位置の違いに憤慨する様子。
これはただ事じゃないぞ、、、、、、。
血の気がひきました。

だって、
黙って綺麗なおむつを履けばよさそうなものの、
ひたすら立ち位置にこだわり、
泣き喚いて履こうとしないのです。
提示された場所にあわせても時すでに遅し。
もう、一度『駄目』と思ってしまうと、
クールダウンするまでが非常に長いのです。

自分が予定していた立ち位置にこだわり、
数cmの違いが許せなかったのかもしれない。

カーテンの開け閉め

その他にも、
夕方になり、カーテンを閉めた途端。
『なんで閉めるの!開けて!開けて!全部開けて!電気を点けて!』

と大泣き。
ぽかーーーんとしながらも、
取り乱す娘にの姿に慌ててカーテンを開け、
電気を点けると少し落ち着きました。

これは診断が付く前にスクールカウンセラーの先生からは、
昼夜の違いにパニックになったのでしょうねと言われました。

当時は何が何だかわかりませんでした。

明るい・暗いの変化に戸惑い
不安・パニックになってしまったのかもしれない

衣服へのこだわり

入園して半年くらいは、
朝の着替えが地獄のようでした。
というのも、
パジャマからパジャマへ着替えようと譲らないのです。

娘の通っていた幼稚園は、
風邪などで体調不良の時を除き原則半そで半ズボンです。

毎朝何十分、
下手すると何時間も説明をして、
楽しい気持ちに誘導しながら着替えさせます。
そして、すんなり着替える時もあれば、
『絶対に嫌。○○のパジャマじゃなきゃ。』
と頑なにゆずらない時も。

『幼稚園に行ったらお外で遊ぶから、
 パジャマだとお袖が邪魔だよね~?』
『半ズボンの方が動きやすいよ。』

など、
着替えるメリットを無理矢理探し、
ひたすら説得説得、、、、でした。
もう何日も続くと朝が恐怖で、
担任に相談しました。

『逆に夜、次の日の服装で寝たらどうですか?』
ともアドバイスを頂きましたが、
今度は夜パジャマにこだわり、、、、、、、。

結果遅れる時は一報入れるなどして、
極力間に合うように尽力しました。
もう時間が迫ると半ば強制的に着替えさせて、、、。

昼夜の切り替えの変化についていけなかったのかもしれない。

パジャマの着心地良く、普段着の肌触りが嫌だったのかもしれない

※よく、洗濯タグがチクチクするから嫌がるという話も聞きます。
 感覚過敏の子は特にそういった傾向があよるようなので、
 タグをハサミでカットするとよいみたいです。
 長女はタグや素材よりも、
 デザインや締め付け感の方が気になるようで、
 同じ洋服ばかり気に入って着ていました。
(例えばタートルネックは首がつまるから苦しくて嫌と言って着ません。)
 このシャツにはこのスカート、、、とか。
 組み合わせのこだわりもあります。

でもそこは、
大人でも気に入った服って何度も着ますし、
不衛生でなければ良しとしています。
 

朝の支度に時間がかかる

お陰で、
早く起きても登園ギリギリに駆け込むこともしばしば。
そして幼稚園についたらついたで、
今度は教室で準備が終わるまで親は帰れません。

かばんからコップとタオルを所定の位置にかけて、
かばんを自分のロッカーにしまう。
後は登園BOOKを出すだけですが、
この作業に毎回30分はザラです。

いの一番に着こうが、
帰るのは一番最後、、、が
ほぼ当たり前かのように繰り返されました。
その際、下の子もいた為、
下の子は園庭で遊びたがるわ、
何処かにいこうとするわ、、、、、。

担任からの
『お母さん、もう帰っても大丈夫ですよ。』
の声がかかるまでとてつもなく長く感じました。

何故そんなに時間がかかるかというと、
気が散るのでしょうね。
『今』やるべきことの優先順位がわからないのです。
幼児だから当たり前のようにも思うのですが、
ある程度毎日繰り返していれば、
大体覚えて自分でできるようになります。
(先生達も次にやることを声掛けしてくれますしね。)

ところが、
これをやるんだよと言われてもできない。
他の何か興味がある事に夢中になってしまい、
声が届かない。
『待って。今これをやっているから。』
⇒待つ。
⇒何時まで経ってもやらない。

注意力が散漫になりやすく、
優先順位をつけるのが苦手なのかもしれない

気持ちの切り替えに時間がかかりやすいのかもしれない


やっと幼稚園の門をくぐり、
帰宅して洗濯物を干したらすぐお迎え、、、、、。
旦那は育児に完全に非協力で、
仕事と嘘をついてでも遊びに行く人でしたから、
当時は本当に気が狂いそうでした。

いえ、半分狂っていました。
発狂しないように平静を保つことが精一杯でした。
ノイローゼになって当然と言えば当然です。


年少の時に発達相談

もうあまりにも毎日毎日しんど過ぎて、
藁をもすがる気持ちで発達相談の依頼をしました。

毎朝他に親子を見ていると、
大体愚図って泣き喚くのは最初の1ヵ月程度。
2月目には一人で支度を出来る子が大半です。
当然支度のできた子の親からどんどん帰宅できます。

然しながら、
長女は着替えもそうですし、
一向に支度をする気配すらありません。
次第に焦る気持ちと共に、
いくつかの摩訶不思議な出来事があり。
担任は勿論保健師のAさんに相談をしました。

もう限界だったのです。

あまりにひっ迫してた様子が伝わったのでしょう。
今まではこちらの話をうんうんと聞いてくれる事がメインでした。
が、そこで初めて発達相談というものがあることを教えてもらいました。

担任など園側の話も必須と言う事で
わざわざ出向いて頂くのも申し訳なく躊躇しましたが、
もうそれしか方法がなくお願いしました。


いざ当日。
ドキドキしながら長女の生い立ちを話しました。
衣服の着替えに困っていること、
こだわりが強く癇癪を起すと中々おさまらないことetc.

発達相談の先生は物静かな年配の方で、
私の話をうんうんと聞いてくれました。
そしてその時は今すぐ診断をくだせるものではないこと。
生まれつきの気質的なものでしょう。
様子を見て、
また何か気になる事があれば相談してくださいとのことでした。
そこでは、

『AとBどっちがいい?決まったら教えてね。』

二択の選択肢を与えてじっくり待つ


以上の必要性をアドバイスしてもらうことができました。
後は、以前から実践していた
時計を使って視覚的に訴える方法ですね。
あと何分と言っても伝わりずらいので、
長い針が〇になったら。
など見てわかるようにします。
(これは定型発達の子にも有効です。)

発達相談を受けての感想

正直、何かしら診断が下りて
対処法などもっと教えてもらえる事を期待してしまったので、
様子を見ましょうと言われて辛かったです。
だってもう充分すぎる程、
毎日嫌と言う程様子を見てきたのですから。
これ以上様子見てどうするの?
というのが本音です。
すみません、、、、、、、。

それからもう絶望感すっとばして、
結局は自分でなんとかするしかないんだと諦めました。
再び、
誰にも相談することなく
ネットや本で解決法を調べる日が始まりました。
何かあったら言ってくださいねと言われても、
どうにもならない現実を嫌と言う程味わってきたのです。
実際に相談もしましたが、
いざ長女の対処に困っていた時現場で、
他人事のように目の前をスルーされて以来
卒園するまで二度と相談することはありませんでした。
(これはASDに対する認識がまだ浸透していない現実を見ると、
 ある意味仕方のないことなのだと思います。)
専門家ですら、
実際にこの超育てにくい子を産んで育ててみない事には、
本当に理解することはできないと思います。
その位言語でのアドバイスと、
現実との乖離は激しいのです。


言うのとやるのとは全くの別物、
机上の空論ばかりです。

入学〜スクールカウンセラーとの出逢い〜


無事卒園でき、
長女の行動も少しずつ落ち着いてきました。
とは言っても、まだまだ、
まだまだまだまだ、、、、、、、、癇癪など大変(笑)

環境の変化に長女はついていけるのだろうかと心配しつつ、
無事入学することができました。
しばらくして宿題も始まります。
帰宅後は、学校で気が張って疲れたんでしょうね。
物凄く解ります。
大人だって4月は無茶苦茶精神的にも疲れますから。

わかるわかるよ~疲れてるよね~
と、最初は寄り添う形で優しく言えるんです。
しかーし、、、、、

宿題でわからない事を聞かれるので教えようとします。
教える⇒聞いていない
⇒聞かないなら自分で考えてね
⇒なんで教えてくれないのずるい
⇒じゃあ聞いてね。これはこうでああで、、、
⇒違う!そうじゃない!
⇒違うと思うなら自分でやって
⇒なんでずるい    

エンドレス、、、、、、。
聞かれたから教えているのに、
間違えているからヒントを教えているのに。
教えれば聞いてなかったり、
屁理屈を言い返してくる。
それでも冷静に教えると、本人わからなくなってパニック💧

これが毎日続きました。
再び『発達相談』の文字が浮かび、、、、。
最初が肝心と思い、すぐに面談の申し込みをしました。

結果大正解でした。
スクールカウンセラーは
私の話をひたすらじっ、、、と聞いてくれました。


そして開口一番
『発達障害ですね。』
と何のためらいもなく伝えてくれました。
覚悟はしていたものの、
やっとわかってくれた人がいた、、、
というほっとした気持ちもあり涙がこぼれました。

『もっと早く診断が下りていれば、
 早期療育ができたのに。
 今からでも遅くないからすぐ病院紹介するから予約して行って。』

緊迫したその口調に、
焦りや後悔や色々な想いが。
前々から相談してきたところでは
誰も診断や解決法を教えてくれなかった、、、。
もっと相談機関が早く療育を薦めてくれれば
こんなに長い事苦しまずに済んだのに、、、。

ハッ、
そんな事を考えている場合じゃなかった、、、。
これでやっと前に進める!
これで家族や旦那にも理解してもらえるかも!

目の前に道がひらけたようでした。

①早速かかりつけの小児科を受診
⇒専門の発達障害を診療してくれる病院宛に
 紹介状を書いてもらいました。
②後日専門病院より、
書類が送られてきて予約日を電話で調整。
③必要書類に記入し、当日持参して受診に至りました。

※専門機関はまだ全国的に多くはなく、
 予約が先になる可能性が大です。
 長女も半年後位にようやく受診することができました。

やっと診断がおりる

首を長くして待ちに待った受診日。

もう何度目だろうか、、、、。
娘の生い立ちを一から話し、
正直もうこれで最後にしたい想いでした。

そして、
『自閉スペクトラム症だね。』
とあっさり診断がおりました。

すでにスクールカウンセラーより、
診断がおりていたようなものでしたし、
自信でもいろいろ勉強をしていた為、
最期の答え合わせのようなものでした。

どちらかと言うと、
周囲の無理解な人達に説明をするために、
診断が必要であったのです。

私は確信をしていたので旦那始め説明をするのですが、
逆にそんなかわいそうな事を言うなとまで言われてしまい、
話が前に進まないのです。
それが物凄く疲れるのです。
ただでさえ娘の対処に疲弊するのに、
その他の大人に理解してもらう為のやりとりは、
正直最小限にしたかったというのが事実です。

そこを認めてもらえない事には、
対処法すらも建設的に共有できないのですから。

やっとスタートラインに立てた、、、、。
そんな気持ちでした。

感想

専門機関にて診断がおりたということは、
周囲を納得させるのに充分なものでした。
発達障害のお子さんを抱える親御さんにとって、
周囲への説得&障害への理解を説明して解ってもらうということは、
想像以上に大変なことだと思います。

せめて身近な家族にはさらっと理解してもらいたいところですが、
毎日世話をしている母親意外に理解をしてもらうということは、
実感が湧かない為か、困難です。

せめてその最初のステップを超える為にも、
受診をおすすめします。

次回はその後の経過をUPしたいと思います。






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