育児日記 産後⑦育児ノイローゼ

育児

この記事は、私が実際に育児ノイローゼになり、

心療内科を受診した際の当時の事を思い出しながら執筆したものです。

あくまで個人の体験に基ずく個人的な見解であり、

医学的な証明をするものではありません。

また、薬名の詳細についてはあえて触れていませんが、

薬でもなんでも、メリットとデメリットがあり、

これらを否定するものでもありません。

これから医療機関を受診しようか悩まれている方にとって、

最初の予約電話はハードルが高く感じる方もいらっしゃるかと思います。

(当時の私もそうでした。)

そういった方に、

こんなこともあるのだなと知って参考になることがあればと思い、書かせて頂きます。

あくまで、一個人の健忘録として一読して頂けたらと思います。

そして、今現在は通院も服薬もしておらず、

なんとか回復して日常生活を送っています。

そんな回復への道のりを記すことで、明るい兆しをもって頂けたら幸いです。

無気力感に襲われる

下の子が生後6ヵ月になった頃でしょうか。

毎日のワンオペ育児と睡眠不足が祟り、

物凄い倦怠感と無気力感に襲われ始めました。

旦那はと言うと、

休日には仕事だからという建前でゴルフに行ったり、

息抜きと言って友人と出かけてしまったり。

当時仕事が多忙だった事もあり、

旦那にも多少の息抜きは必要だろうと最初こそ目を瞑っていました。

遊びに行った分、次の休日は育児を手伝ってくれるだろうと、

淡い期待を抱きながら。

然し、肝心の次の休日はと言うと、、、、、。

子供達の着替えを終え、朝ごはんができても寝ているので、

たまの休日は家族揃って食べようと声を掛け。

食べ終わってこちらが洗濯物を干していると、、、。

すでにソファーで寝ています。

携帯を持ちながら、、、、、。

年子の兄弟の相手をしながら、

掃除機も寝ているから起きるまではかけずにそっとし。

お昼ごはんも結局寝続け食べないこともしばしば。

最初の頃はそれでも、

旦那も疲れているのだろうから、、、。

と思って一人奮闘していました。

然し、翌週の休日も、次も次も、、、、。

この日常が繰り返されました。

次第に疲れが取れなくなり、

「月に8回仮に休みがあるのなら、私にも半分休みをください。

でないと自分が壊れてしまう。

夫婦で授かった子供達だよね?大変な時は二人で協力しあわないと、

私一人では限界です。」

と訴えました。

「・・・・・・・・・・・・・・」

無言の旦那。

うんともすんとも言わないので、

解ったのか、納得したのか、何か言いたいことがあるのかすらわかりません。

「何か言いたい事、思う事があるなら聞かせて。」

と言っても無言です。

せめて返事をしてほしいというと、

面倒くさそうに

「・・・・・わかったよ。」

そしてその後も再び寝てしまうような旦那でした。

本来であれば、大人一人増えているのですから、

人手は日常より足りて楽になる筈が、

何故かよりしんどかったのです。

家事も旦那に手伝ってもらうにも寝ているし、

声を掛けても「後でやるから。」

と言っては放置が続き。

せめて子供達を見ていてくれれば、

こちらは家事を中断せずに済みます。

いない中での一人と、

いるのに一人なのとでは随分違います。

そして出かけたらいつ帰ってくるかわからないので、

ご飯の用意も時間を気にしながら。

余計なストレスが溜まってしまい、旦那の休日も怖くなってきました。

ある日の朝。

起きると、子供たちの泣く声と共に、

急激な不安感に襲われました。

どうしようどうしようどうしよう、、、、、。

漠然とした不安が押し寄せてきました。

これはまずい。

自分でも相当な危機感を感じ、

心療内科を探しました。

二件見つけた内の一件に電話をすると、

「予約がいっぱいで、初診は3週間程先になります。」

3週間なんて待ってられない、

今すぐにでもかかりたい。

もう一件に電話をすると、今週中には取れますとのこと。

すぐ予約をいれました。

初診当日の数日間が恐ろしく長く感じたことを覚えています。

一日一日を祈るようにカウントダウン。

一時間ですら気が遠くなる位長く感じました。

心療内科初診

ついに予約の当日。

緊張しながら向かいました。

初診なので、まずは問診前に50問位の質問に答えました。

答えていて、相当弱っているなあ、、、、と、

漠然と思っていました。

1時間程待ち、ついに診察の時間がやってきました。

年子のワンオペ育児で追いつめられていること。

旦那には今の窮状を言っても言っても伝わらないこと。

逆にストレスになってしまっていること。

頼れる人がいないこと。

先生は黙ってうんうんと聞いてくれました。

結果ついた診断は【適応障害】でした。

適応障害(てきおうしょうがい、: Adjustment disorder:AD)とは、はっきりと確認できるストレス因子によって、著しい苦痛や機能の障害が生じており、そのストレス因子が除去されれば症状が消失する特徴を持つ精神障害である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

要は特定のストレス原因があり、

それによって鬱症状などが見られるわけですね。

それらの症状は、ストレスによって様々な神経物質の伝達が阻害されるため、

伝達がスムーズにいくように助ける目的で薬が処方されました。

副作用による別の苦しみ

結論から言いますと、

処方された薬が中々合わず、

10種類以上も試しては変更、試しては変更を繰り返すこととなりました。

大体メインになるのがSSRIを始めとする抗鬱剤などの向精神病薬です。

向精神病薬とは大きく分けて抗鬱剤・抗不安薬・睡眠薬の3つを指します。

※抗精神病薬はその中でも統合失調症や双極性障害などの治療に向けて、

ドーパミンをブロックする作用に優れた治療薬を言います。

まず2週間、最初に処方されたお薬を飲み始めると、

感情の波が穏やかになったものの、感情が無機質というか機械的な感覚になりました。

普段感じていた強いイライラや焦りは落ち着いたのですが、

なんだか自分が自分ではないみたいで悲しく、

また食欲がほぼ無くなってしまいました。

お腹が空かないので当然口にできる量も減り、

そうなると今度は体力が落ちます。

ふらつきも感じたため、また別の薬を処方されました。

次の薬もその次も、

何かしら吐き気や悪心、不眠などがあり、

段々睡眠薬や頓服の気分安定薬も処方され、、、、。

最初こそ次こそはあうといいなと思って通院していたのですが、

酷い時には一回飲んだだけで嘔吐してしまったり。

(これはストレスでもともと胃腸が弱っていたこともあったのかもしれません。)

睡眠薬を飲んでも全然眠れず。

返って翌日の起床時、眠れなかったこと+倦怠感がより強くでてしまったり。

ドクターの判断に従って飲むように言われていた事と、

勝手な自己判断での服用中止は離脱作用があらわれることもあると

いうことで、異変を感じた時にはすぐ病院へ連絡をして指示を仰ぎました。

病院が休みの日には、救急用の薬剤師直通電話を利用させてもらいました。

アドバイスなどの指示は頂けるものの、

基本的には受診を早めての担当医の問診まで待つ為、

それまでの数日が果てしなく長く苦痛であった事を思い出します。

後半、やっと体にあった薬に出会うまでは、

正直何に苦しんでいるのかわからなくなってしまう程、

副作用に苦しみました。

苦しいから助けを求めて受診した筈が、

副作用で日常生活を送ることがより困難になってしまった時期もありました。

※顕著な脱力感があり、それらを辞めたら回復しました。

自分に合った薬でないと逆に辛い思いをすることも

今、これから心療内科を受診しようか迷っている、

もしくは通院を始めたばかりの方には特に、

このことを念頭に置いて頂きたいと思います。

最初から副作用もなく軽快に回復に向かわれる方もいらしゃると思います。

これも個人の体質や体調諸々、

原因はわかりませんが、複雑に絡み合い作用するのだと思います。

然しながら、合わないこともあるのだと、

ある意味期待をしすぎない方が良いとは思います。

私の場合、少し良くなっては、

もっともっと早く元気に回復したい焦りもあり、

少しの副作用を気にして変えてもらうこともありました。

結局合わずにやっぱり前の薬に戻してもらったこともあります。

できれば頻繁に変えない方がよいですよね。

体も血中濃度が一定になるまで多少時間がかかりますし、

当時の私の体はさぞかし頻繁に薬が変わってビックリしていたことと思います。

通院前は、もし多少薬があわなくても耐えられるだろうし、

大丈夫だろう位に甘く考えていました。

然し、本当にあわない薬はきつかったです。

不安感や絶望感が強まったり、

手が痺れたり。

脱力感で思うように体が動かなかった時は、

ベッドの上で涙を流しました。

それでも子供達の世話はあるし、

泣き声を聞いてはあやさなくてはと焦り、、、、、。

焦りと苛立ちと、家族に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、

あの頃は人生の中でも相当な辛い時期でもありました。

毎日情けなさで胸が押しつぶされそうでした。

次回はそんな私が育児ノイローゼから脱出した経緯を綴りたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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